福竜丸だよりアーカイブ
第五福竜丸だより(隔月発行)のバックナンバーを創刊号より順次アーカイブいたします。
| 福竜丸だより158号発刊:1991/06/15 |
| 事業報告、決算を承認。評議員・顧問を選出 |
| すずらんの苗や、四部合唱 |
| 玉手箱のような道具箱 |
| 映画『第五福竜丸』をみる |
| 新しい発展を願って |
| 広島・長崎市長のメッセージ |
| 大石又七さんの手記 |
| 平和を求めて(三)ラッセル卿への手紙と平和財団支持運動 |
| 福竜丸だより159号発刊:1991/07/15 |
| 展示館開設15周年を祝うー東京で記念祝賀会 |
| 評議員会も開く |
| 協会の評議員、顧問決まる |
| 山川新二郎評議員死去 |
| 大石又七さんの手記出版 |
| 国連・ユネスコの要請にこたえて |
| 妹被爆と第五福竜丸と |
| 平和を求めて(4)私の行動の原点はビキニ被災 |
| 福竜丸だより160号発刊:1991/08/15 |
| 「死の灰がいまにも降りかかってくるような・・・」-高校生の見学あいつぐ |
| 大石さんの手記、反響広がる |
| 各地の平和集会に福竜丸出航 |
| オキナワ・ヒバクシャ多重苦の訴え |
| 「廣島」「ヒロシマ」㊤ー忘れ物はないですか |
| 大石さんとの出合い |
| 福竜丸だより161号発刊:1991/09/15 |
| 高知県ビキニ水爆実験被災調査団、新たに調査資料を公開 |
| 原爆忌東京俳句大会に第五福竜丸賞 |
| 山形から夏の修学旅行 |
| 堺市で夏休みに水爆実験被ばく写真展 |
| START条約後の核軍縮と日本 |
| 「廣島」「ヒロシマ」㊥ーアジアを黙殺した46年間 |
| 子どもたちと第五福竜丸 |
| 福竜丸だより163号発刊:1991/11/15 |
| ビキニ事件に関する外交文書、37年目に公開 極秘の電報に新たな衝撃 |
| 第五福竜丸の-[rq\完成 各地の学校に郵送中 |
| 三宅すず夫人から百万円の寄付 |
| 外交文書の公開と第五福竜丸 |
| ビキニの海は忘れない① 若きマグロ漁民の死 |
| 祈りの海の碑に |
| 福竜丸だより164号発刊:1991/12/15 |
| 船体の横で「英信三写真展」開く 「原水爆のない未来へー船を見つめる子どもたち |
| 二百校をこえて小・中学校来館 “わりばしで作っ第五福竜丸”贈呈 |
| 評議会開く |
| 大石又七著『死の灰を背負って』を読んで |
| ビキニの海は忘れない②マグロ漁船基地 室戸 |
| 戦争と子どもー「せんそう」を編集してー |
| 福竜丸だより165号発刊:1992/01/15 |
| 「写真展」印象深く、ポスター各校で活用ー和歌山、焼津の学校へ-[rq\贈呈 |
| あ、ポスターにはこんなふうにものをいう・・・・・・ |
| 協会理事会開く |
| 3・1ビキニ事件記念集会 |
| 外交文書の学習研究会 |
| 新しい年を迎えて |
| 第五福留意丸事件の意味するもの |
| ビキニの海は忘れない③核実験を見た船員たち |
| 福竜丸だより166号発刊:1992/02/15 |
| 「死の灰」を前に思いを語ってー第五福竜丸乗組員展示館を訪問 |
| 外交文書の学習会 |
| 来館者とともに見学の感想も |
| 風が吹き抜けていくようなメッセージを |
| ビキニの海は忘れない④沖縄の放射線雨 |
| さい果ての島の被ばく者たち北方四島印象記 |
| 福竜丸だより167号発刊:1992/03/15 |
| “核軍縮提案とその後”を読んで3・1ビキニ事件記念集会ひらく |
| 3・1を前に、見学会あいつぐ 澄んだ合唱も船にこだまして・・・ |
| 第五福竜丸持ち帰る |
| ビキニの海は忘れない⑤ビキニ被災船員の会 |
| 「死の灰」を前に思いを語ってー第五福竜丸乗組員展示館を訪問 |
| 「その道をつくして死するは正命なり」工藤敏樹さん(元NHK研修センター理事)をしのんで |
| 福竜丸だより168号発刊:1992/04/15 |
| 小学校「平和展」に第五福竜丸展示 ビデオテープで全員が展示館を「見学」 |
| NHK深夜の撮影 |
| 新年度の事業計画と予算を決定 平和協会代106回理事会ひらく |
| ぜひご覧ください |
| 核開発競争が残したもの |
| ビキニの海は忘れない⑥韓国のマグロ船 |
| とにもかくにも多数の人に知ってもらうことが重要です |
| 福竜丸だより169号発刊:1992/05/15 |
| 船を愛し、平和と人と地球を愛し・・・・・・・和歌山・東北各県から修学旅行 |
| 高校生平和行脚が旅立ち |
| 夢の島公園管理所に要請 |
| 新しく会員に |
| ビキニ事件直後、焼津追想 |
| ビキニの海は忘れない⑦被災船を追う高校生たち |
| 核開発競争が残したもの②プルトニウムをめぐる選択 |
| 福竜丸だより170号発刊:1992/06/15 |
| 小さな修学旅行、自由なピース・オリエンテーリングも |
| 船の周りに座って大石さんの話を聞く |
| 協会代107回理事会を開く |
| 開設16周年を迎えて |
| 核開発競争が残したもの③核実験禁止から核兵器廃絶へ |
| 「又七の海」制作顛末記 |
| 福竜丸だより172号発刊:1992/08/15 |
| 夏は高校生の学習の場、アメリカの高校生も見学 |
| 車いすでの見学 |
| 青年団協議会の研修会も |
| 西宮市で英伸三氏の写真展 |
| 船を守った島田さん逝く |
| <もう一度考えてみたいこと三題>①「われわれはみんなヒバクシャ」を考える |
| 本土復帰20年の沖縄②首里城の正殿も復元へ |
| ふたたび古座川へ |
| 福竜丸だより173号発刊:1992/09/15 |
| ロシアからの中学生も |
| 母親大会にも福竜丸 |
| 観音崎で藤井節弥さんの追悼会 |
| 副読本『展示館の中の船』 |
| 久保山忌句会 |
| 太平洋からネルソン・アンジャインさん来館 |
| 平和の発信地 ピースおおさか |
| 本土復帰20年の沖縄③沖縄独立運動も明るみに |
| <もう一度考えてみたいこと三題>②「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ」を語ることの意味 |
| 福竜丸だより174号発刊:1992/10/15 |
| 焼津まで秋空一枚ひろがって9・23の集い |
| 核を取り巻く情勢を学習 |
| 大石又七さんを囲んで |
| 福竜丸に願い刻み込む句会 |
| 第五福竜丸と出逢った日 |
| 本土復帰20年の沖縄④独立願望の背景に反ヤマト感情 |
| <もう一度考えてみたいこと三題>③「戦争の犠牲は<受忍>せよ」の国辱的意味を考える |
| 福竜丸だより175号発刊:1992/11/15 |
| みんなで学びあう展示館ー子どもたちの歓声にあふれて |
| 保存のためにのカンパを |
| 展示館拡充を要請 |
| 来館者の感想文から |
| 核の兵器利用と平和利用 |
| 本土復帰20年の沖縄⑤加害の歴史に目覚める |
| 資料館紹介ー訪ねてみましょう 第五福竜丸の母校、焼津の資料館 焼津市歴史民俗資料館 |
| ビキニ事件40周年にシンポ |
| 評議員会開く |
| 福竜丸だより176号発刊:1992/12/15 |
| 人類の遺産に目をそそぐー北海道から高校生 |
| マジュロから政府の職員来館 |
| 島田轍之助さんに下町功労賞 |
| 三宅泰雄前会長を偲ぶ |
| 言い聞かせていること |
| 本土復帰20年の沖縄⑥自らの過去を問い直す |
| 第六回国際非核自治体会議に参加して |
| 福竜丸だより177号発刊:1993/01/15 |
| 大石さんの話を聞いてー綾部市豊里中学校 |
| 新刊紹介 梅林宏道著 「情報公開法でとらえた在日米軍」 |
| 新年にあたって |
| 平和教育で平和な世界を創造できるか① |
| 過去の歴史に学び未来の平和を願う |