福竜丸だよりアーカイブ
定期的に発行している第五福竜丸だよりを創刊からアーカイブしてまいります。
福竜丸だより134号発刊:1989/06/15 |
修学旅行五十校、五月に四万人の来館者 |
展示館前から平和行進ー広島の火のリレーも |
録音テープ『被爆を語る』 |
協会創立十六年と展示館開館十三年にあたって |
平和随想29 |
国連総会の「科学と平和」の決議 |
協会理事会ひらくー評議員・顧問を選任 |
訃報 |
福竜丸だより135号発刊:1989/07/15 |
新しい航海へ、さらに前進を 協会設立記念集会ひらく |
協会評議員会開く |
船の周りにマグロ漁具一式-清水港から |
静岡から修学旅行 |
海神さまは女性がお好き?お嫌い? |
平和随想(30) |
米政府にもの申す「NEPA(ネパ)の会」発足 |
福竜丸だより136号発刊:1989/08/15 |
平和随想30)寺田政明の画業を回顧して |
展示館の拡充、展示内容の充実をー協会理事会開く |
修理・拡充を都に要請 |
桧山義夫元副会長を偲ぶ |
今年の八月に思うこと |
平和随想(31) |
“水爆の父”との対面 |
福竜丸だより140号発刊:1989/12/15 |
平和随想34)11月来館者3万5千名 |
解説文を一新、展示替すすむ |
第91回理事会ひらく |
展示館を訪ねて 子どもたちと同じ感動を |
核戦争防止国際医師会議のあゆみ |
平和随想(35) |
草の根のおもい あの頃のこと |
阪上博士来館 |
福竜丸だより142号発刊:1990/02/15 |
展示館の屋根高くに舞ったたこーたこあげ大会 |
「ビキニの海は忘れない」ドキュメンタリー完成 |
協会92回理事会開く |
都の「検査」おこなわれる |
第五福龍丸の東二十キロ |
平和随想(37) |
黒潮の町で絵本「わすれないで」原画展 |
NHK和歌山放送で、「流転・第五福竜丸」報道 |
福竜丸だより143号発刊:1990/03/15 |
三・一ビキニ事件記念集会開く 池田長生氏、田村 清氏が記念講演 |
アメリカからグレンさんー展示館は小学生で賑やか |
日本山妙法寺の平和行脚 |
被爆四十五周年の三・一ビキニデーを迎えて |
平和随想(38) |
第五福竜丸展示館を訪れて |
福竜丸だより144号発刊:1990/04/15 |
平和随想(38船を見つめた瞳から春風と卒業記念作品 |
第五福竜丸の保存工事の報告書が完成 |
新年度事業計画、予算を決定ー協会理事会開く |
東京都と契約更改 |
「深川造船」三月末で閉鎖 |
英語版出版 |
アジア・太平洋におけるイニシアティブへの期待 |
平和随想(39) |
「安全」でなかった「安全宣言」 |
福竜丸だより145号発刊:1990/05/15 |
東北から早くも修学旅行「平和」への心を育む |
新たに賛助会員に |
久保山すずさんのことば |
たゆみなく、全市民的な運動 市役所で毎年開く「原爆展」 |
平和随想(40) |
核の時代に生きる新鮮な高校生の姿を |
福竜丸だより146号発刊:1990/06/15 |
各地から修学旅行 毎年訪れる中学校も |
私たちの「平和宣言」 |
設立記念祝賀会にあたって |
平和随想(41) |
胸中の第五福竜丸 絵本「わすれないで」の発刊まで |
「国家」と医師 シュヴァイツァー、ニコライ、アインシュタイン・・・・・・ |
第五福竜丸を見学して |
福竜丸だより148号発刊:1990/08/15 |
第五福竜丸の絵本ビキニの子どもたちの教材に |
平和への流れはよどみなく |
新たに賛助会員 |
時代の病理ー放射能障害がつきつける現実 |
平和随想(43) |
盲学校の生徒が学びやすい第五福竜丸展示館 |
福竜丸だより150号発刊:1990/10/15 |
展示館の修理決まる 来月1月~3月、期間中は休館 |
9・23第五福竜丸のつどい |
焼津にて 平和と軍縮をめざす全国連絡会 |
協会理事会開く |
核兵器とたたかう人間の生き方を 「被爆者援護法」制定の国民的意義 |
平和随想(45) |
第五福竜丸に集う久保山忌俳句会の十年 |
福竜丸だより152号発刊:1990/12/15 |
展示館の修理工事はじまる 一月十日から三月八日までは休館 |
長崎の「写真展」に第五福竜丸の組写真展示 |
社会科見学で展示館いっぱい高知から高校生も |
協会理事会開く |
平和教育の理念ー国連憲章の「原則」へー |
三宅康雄先生を偲ぶー人の心のわかる人ー |
三宅先生を追慕して |
海の博物館とSOS運動 |