福竜丸だよりアーカイブ
定期的に発行している第五福竜丸だよりを創刊からアーカイブしてまいります。
| 福竜丸だより148号発刊:1990/08/15 |
| 第五福竜丸の絵本ビキニの子どもたちの教材に |
| 平和への流れはよどみなく |
| 新たに賛助会員 |
| 時代の病理ー放射能障害がつきつける現実 |
| 平和随想(43) |
| 盲学校の生徒が学びやすい第五福竜丸展示館 |
| 福竜丸だより150号発刊:1990/10/15 |
| 展示館の修理決まる 来月1月~3月、期間中は休館 |
| 9・23第五福竜丸のつどい |
| 焼津にて 平和と軍縮をめざす全国連絡会 |
| 協会理事会開く |
| 核兵器とたたかう人間の生き方を 「被爆者援護法」制定の国民的意義 |
| 平和随想(45) |
| 第五福竜丸に集う久保山忌俳句会の十年 |
| 福竜丸だより152号発刊:1990/12/15 |
| 展示館の修理工事はじまる 一月十日から三月八日までは休館 |
| 長崎の「写真展」に第五福竜丸の組写真展示 |
| 社会科見学で展示館いっぱい高知から高校生も |
| 協会理事会開く |
| 平和教育の理念ー国連憲章の「原則」へー |
| 三宅康雄先生を偲ぶー人の心のわかる人ー |
| 三宅先生を追慕して |
| 海の博物館とSOS運動 |
| 福竜丸だより154号発刊:1991/02/15 |
| 展示館の修理工事すすむ 縦横に足場、鉄サビの降る中で |
| 展示館の中にプレハブの事務所 来館者も外で説明に耳を傾けて |
| 太平洋から熱いメッセージ |
| 協会、九十九回理事会ひらく |
| 私の、忘れてはならない原点 |
| 十五戦争期における焼津市の漁業 |
| 潮の香に導かれて・・・ |
| 福竜丸だより155号発刊:1991/03/15 |
| 湾岸戦争の中、二〇世紀後半の核開発・利用を考える 三・一ビキニ事件記念集会ひらく |
| 会長に川崎昭一郎氏を選出 評議員会、理事会を開く |
| 展示館の修理継続 |
| 中東湾岸戦争の終結を見て |
| 十五戦争期における焼津市の漁業(二)-監視艇隊(黒潮部隊)について(1) |
| “ビキニ被災漁船員の追跡調査”全国化への新しい段階 |
| 福竜丸だより156号発刊:1991/04/15 |
| 1991年度の事業計画、予算を決定ー協会理事会ひらく |
| ベンシャーン展会期・会場予定 |
| ベン・シャーンについて |
| 十五年戦争期における焼津市の漁業(三)-監視艇隊(黒潮部隊)について(2) |
| 平和を求めて(一)杉の子会と私 |
| 福竜丸だより157号発刊:1991/05/15 |
| 山間の学校も海辺の学校も 今年も各地から中学校の修学旅行 |
| 展示館の拡充を東京都に要請 |
| ラジオ放送生中継 |
| 平和行進広島へ |
| 平和問題雑感 |
| 湾岸戦争後のアジア・太平洋 |
| 平和を求めて(二)杉の子会と原水爆禁止運動 |
| 福竜丸だより158号発刊:1991/06/15 |
| 事業報告、決算を承認。評議員・顧問を選出 |
| すずらんの苗や、四部合唱 |
| 玉手箱のような道具箱 |
| 映画『第五福竜丸』をみる |
| 新しい発展を願って |
| 広島・長崎市長のメッセージ |
| 大石又七さんの手記 |
| 平和を求めて(三)ラッセル卿への手紙と平和財団支持運動 |
| 福竜丸だより159号発刊:1991/07/15 |
| 展示館開設15周年を祝うー東京で記念祝賀会 |
| 評議員会も開く |
| 協会の評議員、顧問決まる |
| 山川新二郎評議員死去 |
| 大石又七さんの手記出版 |
| 国連・ユネスコの要請にこたえて |
| 妹被爆と第五福竜丸と |
| 平和を求めて(4)私の行動の原点はビキニ被災 |
| 福竜丸だより160号発刊:1991/08/15 |
| 「死の灰がいまにも降りかかってくるような・・・」-高校生の見学あいつぐ |
| 大石さんの手記、反響広がる |
| 各地の平和集会に福竜丸出航 |
| オキナワ・ヒバクシャ多重苦の訴え |
| 「廣島」「ヒロシマ」㊤ー忘れ物はないですか |
| 大石さんとの出合い |
| 福竜丸だより161号発刊:1991/09/15 |
| 高知県ビキニ水爆実験被災調査団、新たに調査資料を公開 |
| 原爆忌東京俳句大会に第五福竜丸賞 |
| 山形から夏の修学旅行 |
| 堺市で夏休みに水爆実験被ばく写真展 |
| START条約後の核軍縮と日本 |
| 「廣島」「ヒロシマ」㊥ーアジアを黙殺した46年間 |
| 子どもたちと第五福竜丸 |
| 福竜丸だより163号発刊:1991/11/15 |
| ビキニ事件に関する外交文書、37年目に公開 極秘の電報に新たな衝撃 |
| 第五福竜丸の-[rq\完成 各地の学校に郵送中 |
| 三宅すず夫人から百万円の寄付 |
| 外交文書の公開と第五福竜丸 |
| ビキニの海は忘れない① 若きマグロ漁民の死 |
| 祈りの海の碑に |
| 福竜丸だより164号発刊:1991/12/15 |
| 船体の横で「英信三写真展」開く 「原水爆のない未来へー船を見つめる子どもたち |
| 二百校をこえて小・中学校来館 “わりばしで作っ第五福竜丸”贈呈 |
| 評議会開く |
| 大石又七著『死の灰を背負って』を読んで |
| ビキニの海は忘れない②マグロ漁船基地 室戸 |
| 戦争と子どもー「せんそう」を編集してー |
| 福竜丸だより165号発刊:1992/01/15 |
| 「写真展」印象深く、ポスター各校で活用ー和歌山、焼津の学校へ-[rq\贈呈 |
| あ、ポスターにはこんなふうにものをいう・・・・・・ |
| 協会理事会開く |
| 3・1ビキニ事件記念集会 |
| 外交文書の学習研究会 |
| 新しい年を迎えて |
| 第五福留意丸事件の意味するもの |
| ビキニの海は忘れない③核実験を見た船員たち |
| 福竜丸だより166号発刊:1992/02/15 |
| 「死の灰」を前に思いを語ってー第五福竜丸乗組員展示館を訪問 |
| 外交文書の学習会 |
| 来館者とともに見学の感想も |
| 風が吹き抜けていくようなメッセージを |
| ビキニの海は忘れない④沖縄の放射線雨 |
| さい果ての島の被ばく者たち北方四島印象記 |