福竜丸だよりアーカイブ

定期的に発行している第五福竜丸だよりを創刊からアーカイブしてまいります。

福竜丸だより154号発刊:1991/02/15
展示館の修理工事すすむ 縦横に足場、鉄サビの降る中で
展示館の中にプレハブの事務所 来館者も外で説明に耳を傾けて
太平洋から熱いメッセージ
協会、九十九回理事会ひらく
私の、忘れてはならない原点
十五戦争期における焼津市の漁業
潮の香に導かれて・・・
福竜丸だより155号発刊:1991/03/15
湾岸戦争の中、二〇世紀後半の核開発・利用を考える 三・一ビキニ事件記念集会ひらく
会長に川崎昭一郎氏を選出 評議員会、理事会を開く
展示館の修理継続
中東湾岸戦争の終結を見て
十五戦争期における焼津市の漁業(二)-監視艇隊(黒潮部隊)について(1)
“ビキニ被災漁船員の追跡調査”全国化への新しい段階
福竜丸だより156号発刊:1991/04/15
1991年度の事業計画、予算を決定ー協会理事会ひらく
ベンシャーン展会期・会場予定
ベン・シャーンについて
十五年戦争期における焼津市の漁業(三)-監視艇隊(黒潮部隊)について(2)
平和を求めて(一)杉の子会と私
福竜丸だより157号発刊:1991/05/15
山間の学校も海辺の学校も 今年も各地から中学校の修学旅行
展示館の拡充を東京都に要請
ラジオ放送生中継
平和行進広島へ
平和問題雑感
湾岸戦争後のアジア・太平洋
平和を求めて(二)杉の子会と原水爆禁止運動
福竜丸だより158号発刊:1991/06/15
事業報告、決算を承認。評議員・顧問を選出
すずらんの苗や、四部合唱
玉手箱のような道具箱
映画『第五福竜丸』をみる
新しい発展を願って
広島・長崎市長のメッセージ
大石又七さんの手記
平和を求めて(三)ラッセル卿への手紙と平和財団支持運動
福竜丸だより159号発刊:1991/07/15
展示館開設15周年を祝うー東京で記念祝賀会
評議員会も開く
協会の評議員、顧問決まる
山川新二郎評議員死去
大石又七さんの手記出版
国連・ユネスコの要請にこたえて
妹被爆と第五福竜丸と
平和を求めて(4)私の行動の原点はビキニ被災
福竜丸だより160号発刊:1991/08/15
「死の灰がいまにも降りかかってくるような・・・」-高校生の見学あいつぐ
大石さんの手記、反響広がる
各地の平和集会に福竜丸出航
オキナワ・ヒバクシャ多重苦の訴え
「廣島」「ヒロシマ」㊤ー忘れ物はないですか
大石さんとの出合い
福竜丸だより161号発刊:1991/09/15
高知県ビキニ水爆実験被災調査団、新たに調査資料を公開
原爆忌東京俳句大会に第五福竜丸賞
山形から夏の修学旅行
堺市で夏休みに水爆実験被ばく写真展
START条約後の核軍縮と日本
「廣島」「ヒロシマ」㊥ーアジアを黙殺した46年間
子どもたちと第五福竜丸
福竜丸だより162号発刊:1991/10/15
秋空の福竜丸につどう 今年も9・23に集いや句会
ビキニ事件から37年たった
「廣島」「ヒロシマ」㊦ー僕の父は職業軍人だった
片脚鳥居
福竜丸だより163号発刊:1991/11/15
ビキニ事件に関する外交文書、37年目に公開 極秘の電報に新たな衝撃
第五福竜丸の-[rq\完成 各地の学校に郵送中
三宅すず夫人から百万円の寄付
外交文書の公開と第五福竜丸
ビキニの海は忘れない① 若きマグロ漁民の死
祈りの海の碑に
福竜丸だより164号発刊:1991/12/15
船体の横で「英信三写真展」開く 「原水爆のない未来へー船を見つめる子どもたち
二百校をこえて小・中学校来館 “わりばしで作っ第五福竜丸”贈呈
評議会開く
大石又七著『死の灰を背負って』を読んで
ビキニの海は忘れない②マグロ漁船基地 室戸
戦争と子どもー「せんそう」を編集してー
福竜丸だより165号発刊:1992/01/15
「写真展」印象深く、ポスター各校で活用ー和歌山、焼津の学校へ-[rq\贈呈
あ、ポスターにはこんなふうにものをいう・・・・・・
協会理事会開く
3・1ビキニ事件記念集会
外交文書の学習研究会
新しい年を迎えて
第五福留意丸事件の意味するもの
ビキニの海は忘れない③核実験を見た船員たち
福竜丸だより166号発刊:1992/02/15
「死の灰」を前に思いを語ってー第五福竜丸乗組員展示館を訪問
外交文書の学習会
来館者とともに見学の感想も
風が吹き抜けていくようなメッセージを
ビキニの海は忘れない④沖縄の放射線雨
さい果ての島の被ばく者たち北方四島印象記
福竜丸だより167号発刊:1992/03/15
“核軍縮提案とその後”を読んで3・1ビキニ事件記念集会ひらく
3・1を前に、見学会あいつぐ 澄んだ合唱も船にこだまして・・・
第五福竜丸持ち帰る
ビキニの海は忘れない⑤ビキニ被災船員の会
「死の灰」を前に思いを語ってー第五福竜丸乗組員展示館を訪問
「その道をつくして死するは正命なり」工藤敏樹さん(元NHK研修センター理事)をしのんで
福竜丸だより168号発刊:1992/04/15
小学校「平和展」に第五福竜丸展示 ビデオテープで全員が展示館を「見学」
NHK深夜の撮影
新年度の事業計画と予算を決定 平和協会代106回理事会ひらく
ぜひご覧ください
核開発競争が残したもの
ビキニの海は忘れない⑥韓国のマグロ船
とにもかくにも多数の人に知ってもらうことが重要です
福竜丸だより169号発刊:1992/05/15
船を愛し、平和と人と地球を愛し・・・・・・・和歌山・東北各県から修学旅行
高校生平和行脚が旅立ち
夢の島公園管理所に要請
新しく会員に
ビキニ事件直後、焼津追想
ビキニの海は忘れない⑦被災船を追う高校生たち
核開発競争が残したもの②プルトニウムをめぐる選択
福竜丸だより170号発刊:1992/06/15
小さな修学旅行、自由なピース・オリエンテーリングも
船の周りに座って大石さんの話を聞く
協会代107回理事会を開く
開設16周年を迎えて
核開発競争が残したもの③核実験禁止から核兵器廃絶へ
「又七の海」制作顛末記
福竜丸だより171号発刊:1992/07/15
展示館開設16周年を記念して懇談会開く
「千人鶴の集い」や反核平和の火リレー
資料・写真の寄贈
展示館
本土復帰20年の沖縄①自らの歴史と文化の見直しへ
知られざる北極海の核被害
福竜丸だより172号発刊:1992/08/15
夏は高校生の学習の場、アメリカの高校生も見学
車いすでの見学
青年団協議会の研修会も
西宮市で英伸三氏の写真展
船を守った島田さん逝く
<もう一度考えてみたいこと三題>①「われわれはみんなヒバクシャ」を考える
本土復帰20年の沖縄②首里城の正殿も復元へ
ふたたび古座川へ
福竜丸だより173号発刊:1992/09/15
ロシアからの中学生も
母親大会にも福竜丸
観音崎で藤井節弥さんの追悼会
副読本『展示館の中の船』
久保山忌句会
太平洋からネルソン・アンジャインさん来館
平和の発信地 ピースおおさか
本土復帰20年の沖縄③沖縄独立運動も明るみに
<もう一度考えてみたいこと三題>②「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ」を語ることの意味